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| 若狭悲恋物語 | |||||||
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鉄砲伝来にまつわる女性と語り伝えられている若狭は,鍛冶工・八板金兵衛清定の娘である。 清定は天文12年(1543年)に第14代島主種子島時堯の命によって,ポルトガル人から購入した鉄砲の国産化に日夜苦心していたが,鉄砲の銃身の底を塞ぐネジ止め部分の構造がわからずポルトガル人に尋ねた。ポルトガル人は娘の若狭が嫁になれば教えるという返事であった。清定にとって国産鉄砲の完成は島主の至上命令であり,また自分の悲願でもあったが,娘を南蛮人の嫁にすることは実に辛いことであった。 娘の若狭にとっても当時としては考えも及ばぬことで,父の仕事の完成との板ばさみになって迷い苦しんだあげく,意を決してポルトガル人の妻となった。このため清定は秘法を学び取ることができ,こうして種子島銃が完成したのである。 八板家系図に「女子 若狭 大永7年(1527年)4月15日生まる,母は楢原氏の娘。天文12年(1543年)8月牟良叔舎に嫁ぎ蛮国に至る・・・・・・天文13年蛮船(ポルトガル船)に駕し来たり父子相見る。数日して若狭大病にて死亡たると詐り,棺槨を当てて殯葬す,蛮人これを見て涙を流さず」とある。 若狭実在の傍証の史料すらないが,鉄砲製作の悲願達成に苦悩する父のため,わが身を異国人に嫁したが,父母を思う心は募り,それを歌に詠んでいる。 「月も日も 日本(やまと)の方ぞ なつかしや わが双親のあると思えば 」 若狭悲話は鉄砲製作という難事業を鮮明に印象づけるとともに,父娘の絆を題材とした生まれるべくして生まれた伝説である。 資料 「種子島の史跡」 徳永 和喜 著 <和田書店> 「西之表市の観光豆知識」 西之表市観光協会
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